
あの夜、私は心の底から疲れ果てていました。
身体も、気力も、そして “これからの人生” というものに対しても、
すべてが重たくのしかかってきて、息が詰まりそうだったんです。
眠れない深夜。
何をしても気が紛れず、ただただ胸の中に渦巻く不安と苛立ちに押しつぶされそうで、
私はふと立ち上がりました。
向かったのは、トイレ。
静まり返った夜中に、私は無言でトイレの掃除を始めたのです。
汚れていたわけではありません。
掃除が必要だったわけでもありません。
ただ、何かを綺麗にすることで、
「このどうしようもない気持ちが、少しでも洗い流されるかもしれない」
そんな、藁にもすがるような思いだったのです。
タオルを握る手に、思いがけず力が入りました。
ひと拭き、またひと拭き。
何度も磨いているうちに、少しだけ、心が整っていくような気がしました。
その当時、私のことをとても気にかけてくれていた知人がいました。
私の精神状態がかなり不安定だったこともあり、毎日のようにメールや電話をくれていたのです。
あの夜も、私が返信しなかったことを心配して、何度も着信がありました。
私がようやく着信に気づき電話をしました。
「さっきまでトイレ掃除をしていました。心を落ち着かせていたんです。」というもの。
それに対して、返事は
「まさか夜中にトイレ掃除をしてるなんて、
人はそんな時間にそんなことしない。
すごく心配したんだぞ。服を着替えて、そちらに行こうかと思っていたところだ!」
その言葉を聞いた時、私は不思議な感情に包まれました。
「私って、やっぱりどこかおかしいのかな……」
そんな自嘲と、
「それでも、こんな自分を気にかけてくれていた」
という、温かさと。
今思えば、あの夜のトイレ掃除は、
私が、「自分を壊さないようにする」ための、ぎりぎりの行動だったのだと思います。
手を動かすことでしか、心を保てなかった。
何かを綺麗にすることで、自分の内側の乱れや汚れをどうにかしたかった。
そんな深い願いが、無意識のうちに現れていたのかもしれません。
今こうして、少しずつ前を向けるようになった私が、そのときの自分に言えることがあるとしたら、
こう言ってあげたいです。
「あのとき、あんな夜中に、誰にも見られない場所でトイレを磨いていたあなた。
それは決して“変なこと”なんかじゃない。
心を守るための、立派な行動だったよ。」
そして今、もしもこれを読んでいるあなたが、
どうにもならない夜を過ごしているなら、
誰にも言えない形で、
あなたなりの “心の掃除” をしているのなら
それは立派な、自分を守る力です。
あなたは、ちゃんと、生きようとしている。
最後に
人は心が限界に近づいたとき、
ときに「不思議な行動」に出ることがあります。
それは弱さではなく、
どうにかして踏ん張る力の表れ。
だから、どうか自分を責めないで。
夜中のトイレ掃除でもいい。
何かを磨くことで、自分を磨いていたのだと、信じてください。