「なぜ、私はこれほどまでに試練を味わうのか──神様に問いかけた日」

私は時折、ふとこんな問いが胸をよぎるのです。

「私は、なぜこの世に生まれてきたのだろう?」
「何度も何度も、どうしてこんなに試練が続くのだろう?」
「同じようなことばかりが繰り返されるのは、なぜ?」

若い頃、私は「もう生きていたくない」と思うほど、深く沈んだ時期がありました。
何をやってもうまくいかず、気づけばまた次の問題が押し寄せてきて、
心のどこかで、「私は何かに罰を受けているのだろうか」とすら思っていました。

けれど最近、ある出来事の中でふと心のスイッチが変わったような感覚がありました。
「なるようにしかならない」と、ある種の開き直りにも似た気持ちが、
なぜか心を軽くしてくれたのです。

すると不思議なことに、物事が少しずつ、まるでスローモーションのように、
でも確実に、良い方向へ流れはじめたように感じるのです。

私はこれまでたくさんのことに耐えてきました。
泣くことも、落ち込むことも、感情をぶつけることもたくさんありました。
でもそのたびに思っていたのです。

「なぜ私だけが、こんなに試されるのだろう?」
「なぜあの人たちは平気な顔で、人生を楽に歩んでいるのだろう?」

でも、あるときこうも思いました。

もしかしたら、苦しみを知ったからこそ、
私は人の痛みに寄り添えるようになったのではないか。
自分が迷った道があるからこそ、誰かの迷いにも気づけるのではないか。と。

今も、私は完璧ではありません。
自分のことを完全に好きになれたわけでも、
人生の答えを見つけたわけでもない。

でも、こうして「何かを人の役に立てたい」と願っている自分がいます。
そして、それができるかどうかは分からなくても、
その思いのまま、ブログという小さな場所で、言葉を届けようとしています。

それは、ほんのわずかな前進かもしれません。
でも私にとっては、大きな一歩です。

 

なぜ挫折をする人と、しない人がいるのか?

正直、私にはその答えはまだ分かりません。
けれど一つだけ言えるとすれば、

人の苦しみや痛みは、他人には決して見えにくいということ。

表面上は何も問題がなさそうな人も、
笑顔の裏で、どれほどの涙を流してきたかは分からないのです。

そして、私は思うのです。

挫折を繰り返した人には、その人にしか見えない景色がある、と。

それは決して「不幸な景色」ではなく、
人の心の奥深くに触れる力をくれる景色です。

 

神様が私に求めていること

もし神様という存在が、どこかで私を見ているのなら、
きっとこう言ってくれている気がします。

「誰かの痛みを知るあなただからこそ、伝えられることがある」
「苦しみの中でも希望を選んだ、あなただからこそ、誰かを救える」

その言葉が本当かどうかは分かりません。
でも、私は信じてみたいのです。

この人生に、ちゃんと意味があったと。

人生の終わりの日までに、私は何かを残したい。
「この人の言葉で、少し救われた」と思ってくれる人がいたなら、
それだけで、私がこの世に生まれてきた意味があるような気がします。

今、ブログを書いていること。
自分の弱さを受け入れながら、言葉にしていくこと。
それが、私にできる「生きる証」なのかもしれません。

 

あなたに伝えたいこと

あなたも、今まさに苦しみの中にいるかもしれません。
出口が見えない日々の中で、「なぜ自分ばかりが…」と思っているかもしれません。

でも、そんなあなたの存在も、誰かの光になれるのです。

人生は、苦しみの先にだけ咲く “優しさの花” がある。
それを、あなたも、私も、きっと咲かせられる日がくる。

そう私は思うのです!

 

 

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