初めての一人旅は、心の扉をそっと開く時間だった
今年、私は人生で初めて「一人で温泉宿に泊まる」という経験をしました。
それは、私にとって本当に大きな挑戦でした。
これまでの私は、どこへ行くにも誰かと一緒。
旅行も、外泊も、一人でしたことはほとんどなくて、
気がつけば“箱入り娘”のように守られた世界の中で生きてきました。
「一人で泊まって帰ってくる」それだけのことが、私には大きな一歩だった
今年の初め、ふと思いました。
「一人で、どこかに泊まりに行ってみたい」
遠くの知らない場所ではなくていい。
慣れた場所で、行ったことのある場所でいいから、「一人で行って、泊まって、帰ってくる」という
体験をしてみたかったのです。
そして私が選んだのは、家から車で約2時間半ほどの温泉宿。
その宿には、以前、母と息子と三人で来た思い出がある場所でした。
あのとき、息子はもう立派に大人になっていて、温泉では男湯へ。
母と私は女湯でのんびりと湯船につかりながら、おしゃべりを楽しんでいました。
「やっぱり温泉はいいね!」
「うん、気持ちいい」
たわいもない会話のひとつひとつが、今となっては心にしみる大切な記憶です。
湯けむりの中で、ふっとよみがえった、母との会話
チェックインを済ませ、浴衣に着替えて温泉へ。
誰もいない静かな脱衣所。
浴室のドアを開けると、湯気の向こうに見慣れた湯船がありました。
「そうそう、この香り、このあたたかさ…」
懐かしい気持ちが、ふわりと心に広がっていきました。
私はそっと湯船に体を沈めました。
静かで穏やかな時間。
けれどその静けさの中に、ある日の母の姿がふっと浮かんできたのです。
あのとき、母はいつものように私と一緒に女湯に入り、ゆっくりと湯船に浸かっていました。
でも、ふと見ると母の体が、お湯の中で少しふらふらと流されているように見えました。
「お母ちゃん、どうしたの?危ないよ。手すり、ちゃんと持ってて」
私は慌てて声をかけました。
すると母は、ちょっと恥ずかしそうに、けれど笑いながらこう言いました。
「やっぱり歳をとると、筋肉がなくなるのねぇ。お湯の中で踏ん張れなくなるなんて、昔は考えられなかったわ」
私は思わず笑いながらも、母の腕を軽く支えてあげました。
そのときの母の肩の細さ、肌のやわらかさ。
そのすべてが今も記憶に残っています。
息子の声が聞こえてくるような、あの時間
女湯の中で、母とそんな会話を交わしていたとき、
私はふと思いました。
「きっと息子、外で待ちながら“ばあちゃんとお母さん、長いだろうなぁ…”って言ってるよね」
そう言うと、母はクスッと笑って「ほんとね、女の人は長湯だからね」って。
家族三人で来たその日、みんながそれぞれの場所でくつろいでいたけれど、
心はちゃんと一緒にあった。
そんなことを思い出して、私は湯船の中でそっと目を閉じました。
今、私は一人でここにいる。でも、心にはあの日の三人がいる
あの時とは違い、今は一人でこの温泉に来ている私。
けれど、湯けむりの中にはあのときの母と私の会話が、
脱衣所の外には、退屈そうに待っていた息子の姿が、
まるで今もそっと存在しているような気がしました。
寂しさも、あります。
けれど、それ以上に、
「あの日の時間を、私は今も大切に持っている」
そう思えたことが、私の心を深く支えてくれていました。
小さな一歩が、自分に自由を与えてくれる
この一人旅を、私はこれからも続けていきたいと思っています。
派手な観光や、遠くの知らない場所ではなくていい。
自分の中にある風景と、もう一度出会い直すような旅が、今の私にとっては一番意味のある時間なのです。
記憶をたどりながら、でもしっかりと「今の私」を生きていることを実感できる。
そんなひとときを、季節ごとに少しずつ重ねていけたらいいなと願っています。
おわりに:
「ひとりで来た宿」には、過去の私たちが静かに息づいていた。
母と息子と過ごした温泉の時間は、もう戻らないけれど、
それは今の私の心の中で、ちゃんと生きていてくれました。
ひとりで訪れたこの宿で、私は思い出の中の母と息子と、静かに再会していたのかもしれません。