母が嫌いだった私が、ようやく「愛」に気付いた日

「親なんて大嫌い。」

そんな思いを胸に抱えて生きてきた人は、きっと私だけではないと思います。

私は、ずっと母のことが嫌いでした。

愛されている実感がなく、「どうせ私は期待されてないんだ」と思い込み、大人になってもその気持ちは

拭いきれませんでした。

愛されていないと感じて育った私は、大人になってもそのわだかまりを抱えて生きていました。

でも、どん底の人生を経験する中で、「親の愛」に気づく出来事がありました。

今回は、そんな私の心の変化についてお話しさせてください。

 

愛されていないと感じていた子ども時代

私は幼い頃から、母のことを素直に好きになれませんでした。

兄とばかり比べられ、「なんであなただけ」「お兄ちゃんはそんなことしない」と、責められているような

感覚をいつも抱えていました。

どんなに頑張っても褒められず、「私なんかいない方がよかったのでは」とすら思ったこともあります。

誕生日に「お祝いしたい」と言っても、「田植えがあるから無理」と断られたこと。

欲しいものをお願いしても、「うちはそんなに裕福じゃないの」とすげなく返されたこと。

今振り返ると、それは母なりの事情や背景があったのだとわかります。

でも当時の私は、ただただ「私は愛されていない」と感じてしまっていたのです。

 

自分が親になって、見えてきたもの

年月が経ち、私も母親になりました。

子育て、仕事、家事、地域の役割…。

毎日が忙しさでいっぱいで、自分のことなど後回し。

思うようにいかない日々に、気持ちの余裕を失いかけていた時期もありました。

どん底にまで落ちた今、自分自身を振り返っていて思い出したのです。

当時、思春期に差しかかる頃の息子から、こんな言葉をかけられたことがあります。

「母さんって、僕よりお姉ちゃんのほうが好きなんでしょ?」

この言葉を思い出したとき、私は言葉を失いました。

私がかつて母に思っていた言葉を、自分が言われていたのです。

まるで、かつての私が母に思った言葉が、何十年の時を経て返ってきたかのようでした。

「そんなつもりじゃないのに…」

でも、受け取る側の気持ちは、こちらの意図とは違う方向に向かってしまう。

その日から、私は母との記憶を一つずつたどるようになりました。

 

母との最後の会話で、心がほどけた

母がまだ元気なうちに、私は思い切って聞いたことがあります。

「ねえ、お母ちゃん。私とお兄ちゃん、どっちが可愛かった?」

母は笑いながらこう言いました。

「どちらも可愛いに決まってるでしょ」

その一言で、私は涙がこぼれました。

ずっと、勝手に思い込んでいただけだったのかもしれません。

私はずっと、母に対する不満や怒りの中で、“母がどう感じていたか” を想像することができていなかったのです。

母の言葉は、子どもの頃の私の心を、ゆっくりと、でも確かに癒してくれました。

 

親の気持ちに気づいたとき、少しだけ心が軽くなった

母が亡くなる少し前、私は母に伝えることができました。

「お母ちゃん、ごめんね。私はお母ちゃんのことをずっと誤解してた。」

母の目から、静かに涙がこぼれました。

その涙を見たとき、私の心の奥にあった “わだかまり” が少しずつほどけていくのを感じました。

今、私の両親はこの世にいません。

でも仏壇に手を合わせるたびに、心の中で語りかけています。

「気づくのが遅かったけど、愛してくれていたこと、今ならちゃんとわかるよ。」

 

まとめ|ゆっくりでいい。親との関係を見直すことの意味

「親を好きになれなかった」

「親の言動にずっと傷ついてきた」

そんな思いを持っている人に、私は無理に許そうとか、感謝しようなんて言いたくありません。

その気持ちは、その人の人生にしかない “正直な痛み” だから。

ただひとつ言えるとしたら

ほんの少しでも「もしかしたら、こうだったのかも」と親の立場に立って想像できたとき、

心が少しだけ、軽くなることがあるのです。

私もまだ完璧に癒されたわけではありません。

それでも、過去の見え方が変わった今、親との関係を見直す意味が少しだけ分かるようになってきました。

どうか、あなたにもそんな気づきが訪れますように。

そして、あなた自身が、あなたの人生を生きやすくなるように。

心からそう願っています。

 

 

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