父と母のささやかな楽しみ
私の母が、ふと漏らした言葉があります。
「お父さんと一緒に楽しめたのは、ほんの一瞬だったね」
その言葉を聞いたとき、胸に深く残りました。
母が言っていたのは、父と二人で出かけて外食を楽しんでいた頃のことです。
父はまだ元気で、夫婦としてささやかな時間を共に過ごしていた。
けれども、それは本当に短い時間だったのです。
私の記憶の中でも、二人が連れ立って食事を楽しむ姿は多くありません。
母にとっても、それは人生の中で光のように一瞬輝いた、大切な思い出だったのでしょう。
私自身の離婚と、両親の支え
ちょうどその頃、私自身は離婚問題を抱えていました。
夫婦としての関係がうまくいかなくなり、どうしても解決が必要になった時期です。
母と父が「外食を楽しんでいた」という短い時間に、私の家庭は崩れていこうとしていたのです。
母の心はきっと複雑だったに違いありません。
本当なら夫婦の時間を楽しみたいはずなのに、娘である私の問題に気を揉み、心を痛めていたことでしょう。
それでも両親は、私や孫たちのことを気にかけ、時には声をかけ、励ましてくれました。
離婚は成立しましたが、その裏には両親の深い心配と支えがあったことを今になって強く感じます。
父の病と、母の言葉の重み
数年後、父は癌を患いました。
母にとっては、夫と過ごす時間が急に奪われるような出来事でした。
だからこそ、母が口にした「お父さんと楽しめたのは一瞬だった」という言葉には、
深い意味があったのだと思います。
結婚生活の中で大変なこともたくさんあったでしょう。
それでも、ようやく二人で食事に行くことができたあのひとときは、母にとってかけがえのない幸せでした。
しかしその幸せは、父の病によって、あまりにも早く幕を閉じてしまったのです。
後悔と、そこからの学び
振り返ると、私は後悔しています。
もっと早く、もっとたくさん二人を楽しませてあげられたらよかった。
娘として親孝行できることは、きっといくらでもあったのに―
そう思うと、胸が詰まります。
けれども同時に、その後悔から学んだこともあります。
人はいつまでも一緒にいられるわけではなく、幸せな時間は案外「一瞬」で過ぎていくということ。
だからこそ、今目の前にある日常や小さな楽しみを大切にしたい。
母の言葉を思い返すたび、私はそのことを心に刻むようになりました。
辛い出来事が「学び」に変わる
私の人生には、辛い出来事がいくつもありました。
離婚、両親の病、そして別れ…。
その瞬間は「なぜこんなことが起きるのか」と嘆き、苦しむばかりでした。
しかし、今こうして振り返ると、どの出来事も「学び」へと変わっていることに気づきます。
離婚の苦しみは、家族の絆の大切さを教えてくれました。
父との別れは、日常の中にある幸せを見つめ直すきっかけになりました。
母の言葉は、人生の短さと、今を大事にする尊さを思い出させてくれます。
感謝へと変わる心
不思議なことに、学びを重ねていくと、それがやがて「感謝の気持ち」へと変わっていきます。
辛いときに支えてくれた両親への感謝。
苦しい中でも寄り添ってくれた友人への感謝。
そして、今こうして生きている自分自身への感謝。
母の「一瞬の幸せ」という言葉は、私にとって人生を見直す原点のようなものです。
そのおかげで、私は日常の中に幸せを感じる力を持てるようになったのだと思います。
終わりに
母が語った「一瞬の幸せ」という言葉は、ただの思い出話ではありません。
それは、私自身が「今をどう生きるか」を問いかけてくれる大切なメッセージでした。
もっと早く気づいてあげられたら、という後悔は残ります。
けれども、その思いがあったからこそ、私は「今を大切にすること」「感謝を忘れないこと」を学ぶことができました。
人生は長いようで、実はあっという間です。
母の言葉を胸に、私はこれからも、日常の中にある小さな幸せを大切にしながら生きていきたいと思います。